SHIPPO~七宝焼

【七宝焼って何?】

「七宝焼」は、銅や金銀などの金属地にガラス質の釉薬を焼きつけて創り上げる美術的な伝統工芸品です。そのうち、金属線で絵柄の輪郭を形作るものを「有線七宝」、金属線による輪郭をとらないものを「無線七宝」といいます。海外では、有線七宝を代表して「Cloisonne(クロワゾンネ)」 「Cloisonne enamel(クロワゾンネ エナメル)」などと呼ばれますが、TAN・KEIでは無線七宝も多く作っておりますので、アルファベットで表記する際にも「Cloisonne」ではなく「SHIPPO」としています。

七宝焼の「七宝」とは、仏典にある七つの宝物に由来し、七宝焼が七種の貴品にも似た美しさを持つところからこの名がつけられました。仏典にある「七つの宝物」については仏典により多少違うようで、「無量寿経(浄土三部経の一経)」によれば「金・銀・瑠璃・玻璃・瑪瑙・しゃこ・珊瑚」、「法華経授記品(法華宗の経典)」によれば「金・銀・瑠璃・瑪瑙・真珠・しゃこ・まいえ」とされます。ちなみに「瑠璃」は青色の宝石あるいは青い色ガラス、「玻璃」は水晶あるいは透明ガラス、「瑪瑙」は層状の縞模様をもつ石英の結晶の集合体、「しゃこ」は世界最大の二枚貝の貝殻、「まいえ」とは中国で採れる石の一種です。昔は、ガラスそのものが宝石並の貴重品だったということかもしれません。

 

【七宝焼の歴史】

いろいろな説があるようですが、古くはエジプトのツタンカーメンの黄金の仮面などにもその技法が使われていました。その後ヨーロッパや中東アジアにも伝わり、それぞれの地域で発展して洗練され、建造物の装飾や食器・装飾品などにも使われてきました。日本には西暦800年頃、シルクロードを伝わった交易の伝来品、または一部の渡来人の技術によってもたらされたといわれています。平安時代以降、しばらく七宝の伝承は歴史上にみられませんが、慶長年間に京都在住の金工・平田彦四郎道仁が朝鮮の技術者より七宝の技術を伝習し、江戸時代の七宝師となったことから日本人による七宝焼の製作がはじまったようです。さらに幕末の頃には尾張地方(現在の愛知県)の梶常吉がオランダ七宝を研究して七宝工芸が広まるきっかけを作りました。

 

 【和工房TAN・KEIの七宝焼】

和工房TAN・KEIでは、七宝焼作家・岩田和典氏(工房花染、日本七宝作家協会理事)の指導により習得した技法を元に、七宝焼アクセサリーを多く制作しています。一般的に「七宝焼」というと有線七宝を思い浮かべる方が多いですが、当工房は「幅広い世代の方々が、気軽に日常のファッションに取り入れられるものを提案したい」との思いから無線七宝を中心としています。それぞれの感性で細かい色ガラス釉薬を砂絵のように盛り分けて表現する無線七宝の世界をお楽しみください。
※ 当工房では、大型の七宝や大量注文、同じデザインの七宝焼を複数制作するオーダーはお受けできませんのでご了承ください。